第一章 美人社員の屈従 1 人生というのは何が起こるかわからないものだな。 ラブホテル特有の回転ベッドに座りながら、加藤育郎はそんなことを考えていた。 四十過ぎで贅肉がたっぷりと詰まった顔と体は、どう贔屓目に見ても容姿が優れているとは言えない。 だがそんな加藤にも人より優れている点があった。 それは財力である。家は代々続く織物会社で、加藤は現在の社長なのだ。 五十人程度の従業員を抱えていて、とりたてて何の特徴もないこの田舎町では立派な大企業だった。 個人企業ではありがちなワンマン経営者だった加藤一族。そのなかでも当代である育郎の横暴さは群を抜いていた。 男性従業員の賃金はたいした理由もなくカットしまくり、女性従業員には社長であることを盾にしてセクハラのし放題。 さすがにここまで好き勝手していれば、社員たちが我慢できなくなるのも当然のことだった。 社員たちは一致団結して、加藤を様々な面から訴えようと動きだしたのである。 これに慌てた加藤は話し合いを要求したが、不満と怒りを爆発させている社員たちに、にべもなく却下されてしまう。 スケベ鬼社長と呼ばれていた加藤も、ついに観念をせざるをえない状況にまで追い込まれてしまった。 ところが、である。 そんなさなか、突如として日本国内に第二のバブル崩壊が起きてしまったのだ。 被害は各方面に及び、大手一部上場企業ですら倒産を余儀なくされるなか、加藤織物だけは安さと品質の良さが大不況の市場にうけて生き残ることができた。 さらには競合相手が勝手に潰れていってくれるので、業績は今や右肩あがり。 風俗店ですら働き手が余りまくっている不況下において、他の会社からすれば非常に羨ましい限りだった。 これで加藤の状況は一変することになる。景気崩壊により、社員たちの反乱が急停止したのだ。 下手に訴えて会社が潰れてしまうようなことになってしまえば、自分たちが働き場所を失ってしまう。 そんな思いからひとり、またひとりと反乱グループから離れていってしまったのである。 極端なデフレで物価が大幅に下落しているとはいえ、日本国内の失業率は過去最高をもの凄い勢いで更新していた。 餓死者まで発生するのが珍しくないご時世となってしまっただけに、当然貰える給料も今までのようにはいかない。 ボーナスカットも当然というなか、加藤織物だけは賃金を一切下げなかったのである。 もともとが安月給だったというのもあるが、それでも今ではその金額が相当の高給になっていたのだった。 これにより加藤が訴えられる心配はなくなった。だが訴えられそうにまでなった加藤の怒りはなくならない。 自分を落とそうとした反社長派の一掃を開始しようとした矢先のことだった。 セクハラ問題という刃を突きつけてきていた女性社員たち。そのリーダー格であった西脇真澄から突然飲みに誘われたのだ。 綺麗に染めあげたサラサラで茶髪のショートヘア。キリリとした知的な瞳に、少し濃いめのルージュが塗られた艶っぽい紅唇。 二十六歳のちょうど成熟している肉体は、制服の上からでも常にムンとした色気を放っていた。 Eカップはあろうかという豊かなバストに、タイトスカートをパンと張らせている肉づきのいいヒップ。ひとたび事務所内を歩けば、すぐに男どもの視線を独り占めにしてしまう。 絵に描いたようなクールビューティで、性格も媚びるようなタイプではなかったため、社長である加藤に対しても面と向かって文句を言ってきたりもした。 だが誘われた居酒屋ではこれまでの態度が嘘のように甘えてきて、真澄のほうから帰り際にラブホテルへ行くことを提案してきたのだ。 こうして部屋に入って、真澄がシャワーを浴びているのを待っている現在でも、夢を見ているようで加藤は自分の状況が信じられなかった。 なにせ相手は社内でも難攻不落で有名なマドンナだったからである。もちろん加藤自身も想いを遂げたくて幾度となく口説いたが、そのすべてで見事なまでに玉砕させられていた。 もしかしたらこれは美人局ではないかという疑いも、当然胸の中には少なからず存在していた。 吸い終わった煙草の残骸が灰皿を埋め尽くそうとした頃、ようやくバスルームのドアの開く音が聞こえてきた。 静かな足音が近づいてくるにつれて、鼓動も大きく強くなってくる。真澄が入社してきて以来、ずっと願ってきたシチュエーションだっただけに、気分が高揚してしまうのも無理はなかった。 「お待たせしました」 現れた真澄の格好はバスタオル一枚だけ。 湯上りの肌はほんのりと桜色に染まっていて、あまりの悩ましさに加藤の珍棒はあっさりと勃起してしまう。 「そ、それにしても、今までワシを毛嫌いしておったくせに、ずいぶんな変わりようじゃないか。なんぞ企んでおるんだろ」 すぐにでも女体を包んでいるバスタオルを剥ぎ取りたがっている両手を我慢させ、できるだけ平静を装って話しかけた。 「嫌ですわ。私は純粋に社長様とこうなりたかっただけです」 加藤の隣へ腰を下ろし、わざわざしなまで作ってみせる西脇真澄。 腕を組まれ、ボリュームタップリの胸を押しつけられれば、さすがに加藤も悪い気は一切しない。 それに真澄の魂胆もある程度は予測がついていた。 責任感や正義感が強く、頼りになる真澄は常日頃から女性社員たちの中心だった。だが最近の社内では昼休みなどでもひとりで過ごすことが多くなっていた。 なにも真澄から距離をとったわけではない。周囲が勝手に離れていってしまったのだ。 例え解雇されようとも加藤を叩こうとした真澄と、自分たちの保身を重要視して消極的になってしまった女子社員たち。その溝は埋まらないまま次第に大きくなり、とうとう真澄は社内で孤立化してしまった。 あれだけ面倒をみていた仲間たちからは無視どころか、嫌がらせまで連日されるようになっていた。 弱みを見せることのなかった真澄が、ひとり隠れて悔しさに泣いたこともあったほどである。 悲しみの孤独を味わいつづけているうちに、眩く輝いていた真澄の瞳が薄く濁るようになってきた。そして以前の態度からは想像もつかない今夜の行動。 美人社員の最終的な狙いは、自分を裏切った女子社員たちへの復讐だろうと加藤は推測していた。嫌いな人間に媚を売ってでも取り入り、権力をもらって女子社員たちをいびろうという魂胆なのかもしれない。 理由はともかくとして、あれだけ信念の強かった女があっさり堕ちてしまうのだから、絶望というのはげに恐ろしきものである。 そう思いながらも加藤は内心でニヤリとしていた。おかげで西脇真澄という極上の女を手に入れるチャンスがめぐってきたからだ。 愛人にしたいと強烈に欲していた相手だけに、誘いを受けるのは何の問題もなかった。とはいえ、素直に応じては真澄にイニシアチブを握られてしまう可能性もある。 手持ちのカードはこちらが圧倒的に有利であるし、ここひとつ後々のためにもお互いの立場をはっきりさせておいたほうがいい。 そう判断した加藤は、密着していた美人社員の身体を自分から引き離した。 「悪いが、近々辞めさせる予定の社員と、そういうことをする気はないな」 一緒にラブホテルまで来ておいて、実に白々しい台詞だったが、発言を受けた真澄は微かに狼狽しているようだった。 連日セクハラをされていただけに、甘い餌を見せればすぐに食いついてくると思っていたのだろう。相手の反応に加藤はしめしめとほくそ笑むのだった。 |